終わりの話

FGOやってたら気が付けば一か月以上経ってました。終章楽しかったです。

そんな感じの内容なので少々ネタバレ気を付けてください

 

座右の銘は「メメントモリ」、そこから「有終の美こそ至高」という終末美信仰がある人間なので、なんだかかなり理解ができた。

 

「色彩」では「永遠など少しもほしくはない」なんて歌ってるのだけれど、それって私にとってはすごく衝撃だった。

だってよく聞く音楽ってみんな、「永遠に愛してる」とか「永久に思い続けよう」とかそんなのばっかりじゃん。だから新鮮だったし、すごく納得した。シナリオがすべて終わったあとに聞き直して号泣した。

 

この世のすべては常に終わりへ向かっていて、終わるまでの間に何かに触れたり触れなかったり、変化したりしなかったり、観測されたりしなかったりしていて、終わりを憂いたり望んだりしてて、それがいま在るということに価値を与えているんだと思っている。

終わるという前提がなければそれはただ漫然と終わっていないだけ、いつか必ず終わるから今生きていて、形があって、意味がある。

全てが永遠ではなくて、いまただこの瞬間があって、ただそれだけで意味があるの

終わりってなんて愛おしくて美しいんだろう

こんな終わりを信仰している私からしたらすごく理解のできる話だったなあ

終わることはネガティブなことなんかではないと思っているよ。

普通ってなんだって考えるたびに、僕は普通の人間なんだなあと思う

普通の人って、普通でないことに苦しまないから、普通って何だろうなんて悩まないし、普通じゃないなんていいなって羨んでみたり、普通ではないように振舞って見せたりする。

僕は自分のことを説明するのにたくさんの言葉を並べなきゃならない人ほど所謂普通からは逸れていってると考えてる。

多数派のことを「普通」と呼ぶから、異性愛者は何も言わないけど、同性愛者は自分のことを表現するのに同性愛者って言葉を使う必要があるし、

目の見える人は記述がいらないけど、目の見えない人は目が見えないって使わなきゃならない

多数派じゃないってことは普通じゃないってこと、少なくとも僕の身の回りでは「普通」を定義するのにそれが一番しっくりくるというか、もっともらしい言葉のように思える。

 多数派ってすごく居心地がいいし、数が多いだけでもうそれは暴力的なほどに力を持ってるはずなんだけど、多数派って、普通の人って、それが普通だから、普通じゃない人がどう考えて何を感じてるのかなんて気づかない、気にもしない、普通じゃないことは間違っていることだとさえ言うやつがいる、なんでだろうね。

僕は普通の、多数派の人間で、自分のことを説明する言葉なんて三つで十分で、数に目がくらんで正しいとか正しくないとか思いこんでしまうことだってあるだろうけれど、それでも普通でないことが正しくないとは思わないようにしたい。な。

本当に悪意なく、ぶっちゃけ興味がないから言えちゃうことなので、ひねた様にとらないでほしいんだけど、迫害するような政策って、たいていが「怖いから」って理由で行われてるんだと思うの
強引に改宗させた大昔の政治も、最近の黒人迫害も、要は理解できないから怖くて、退けたりするんでしょう?

理解できないってとても怖いものね、仕方ないとは思うよ、まあ会話によって理解する努力を放棄した時点で僕からはもう何も言えない。

理解する努力は精一杯するべきだし、理解ができなくても認めることは絶対に必要よ、それはどこの世界でも何をしていてもどんな人物であろうと努力し続けなければだめなの

どうしても認めたくないなら互いに視界に入らないように顔を背けて離れればいいの、それを「お前があっちに行け」なんて強要したらそれはもうだめだけど。

場の空気なんて曖昧なもので一人でも人を傷つけるなんて生涯恨まれるようなマネ、リスク高すぎて僕でさえやりたくもないのに、それが正しいと信じ込んで、ただの暴力でしかないような排他抑圧を大人数に行うなんてとんでもない大バカ者の行動としか思えない。それが正しいとされる時代環境雰囲気であることが気持ち悪いし信じられない

こうやって世界史の教科書が現代社会の教科書を眺めて、過去の人間の行いを現代の価値観で裁くなんてナンセンスだとは思うけど。でもこうやって匿名ででも堂々と嘆くことができるようになったんだから人間は理解を放棄しないようになったと思ってもいいのかもしれない。だめかもしれないけど。

でも僕はよくなったと思いたいしそうであってほしいよ。