普通ってなんだって考えるたびに、僕は普通の人間なんだなあと思う

普通の人って、普通でないことに苦しまないから、普通って何だろうなんて悩まないし、普通じゃないなんていいなって羨んでみたり、普通ではないように振舞って見せたりする。

僕は自分のことを説明するのにたくさんの言葉を並べなきゃならない人ほど所謂普通からは逸れていってると考えてる。

多数派のことを「普通」と呼ぶから、異性愛者は何も言わないけど、同性愛者は自分のことを表現するのに同性愛者って言葉を使う必要があるし、

目の見える人は記述がいらないけど、目の見えない人は目が見えないって使わなきゃならない

多数派じゃないってことは普通じゃないってこと、少なくとも僕の身の回りでは「普通」を定義するのにそれが一番しっくりくるというか、もっともらしい言葉のように思える。

 多数派ってすごく居心地がいいし、数が多いだけでもうそれは暴力的なほどに力を持ってるはずなんだけど、多数派って、普通の人って、それが普通だから、普通じゃない人がどう考えて何を感じてるのかなんて気づかない、気にもしない、普通じゃないことは間違っていることだとさえ言うやつがいる、なんでだろうね。

僕は普通の、多数派の人間で、自分のことを説明する言葉なんて三つで十分で、数に目がくらんで正しいとか正しくないとか思いこんでしまうことだってあるだろうけれど、それでも普通でないことが正しくないとは思わないようにしたい。な。